よしこばブログ

13年間の国税局勤務を経て転身した、フリーライター小林の日常

月曜日の朝が憂鬱なので、仏教の長老の言葉に頼ってみる

月曜日の朝ですね。

多くのサラリーマンの方が、少しブルーな気持ちになっていることでしょう。

 

僕もそうです。

特に今の仕事が嫌なわけではありません。

それほど負担もありませんし、きっと今日の午後にはそんな憂鬱さも忘れて、仕事に追われて集中していることでしょう。毎週の話です。

 

それにしても、なぜ月曜日の朝は憂鬱なのでしょうか

今日は、原始仏教アルボムッレ・スマナサーラ長老の言葉から考えてみます。

僕は敬虔な仏教徒というわけではありませんが、長老の本はとても読みやすく、仕事や生活に活用できることが多いので、愛読しています。

 

今日取り上げる本はこちら。 

 

 

だいたいが、先、先、先のことを気にしているのです。先を妄想する人は成功しません。同じ仕事でも、なぜきつく感じる人と楽に感じる人がいるかというと、先を考えるか考えないかということなのです。先を考えると、何ごともきつくなるのです。

 

過去について悩むことなく、明日についていろいろ考えあぐねることなく、今現在、元気で充実感があって、自分がやらなくてはいけないことがわかっていて、その責任をきちんと果たして、充実感を味わって生きることが、生命には必要なのではないでしょうか。それが幸福に生きるということではないでしょうか。

 

確かに、悩みってたいてい、「まだ来てもいない将来」についての妄想なんですよね。

たとえ過去の失敗に思い悩んでいるとしても、その過去の失敗によって、将来起こることを妄想しているわけで、そうすると途端に現実がつらくなってしまいます。

 

月曜日の朝もそうで、まだ始まったもいない仕事について不安を感じてしまう。

まだ会ってもいない人を恐れる、そんな感じでしょうか。

では、どうすれば、気持ちを少しでも落ち着かせることができるんでしょうか。

 

今の仕事によってわずかでも他人を助けられていると思うと、これは私がやらなくてはいけないという、確実な意味が生まれてくるのです。それが充実感です。

 

「仕事によってわずかでも他人を助けられている」という感覚

これを感じ、理解することで仕事への姿勢が変わってきます。

 

もし、ただ「自分の利益」を考えていると、あまり頑張れないですよね。

だって、自分さえその「利益」を諦めれば、面倒な仕事をやめていい、ということですから。

でも、そこに「他者の利益」を意識すると、そういうわけにはいきません。

 

ここで、さらに出てくる疑問は、

「じゃあ、なぜ他人のために僕が頑張る必要があるんだ?」ということでしょう。

そうした疑問にも、仏教の考え方が示されます。

 

私たちが今すぐ幸福を体験するためには、悩みなく生きるためには、生命は平等でありみんな自由であるということを、心から理解し、考えなければいけないのです。

 

そう、悩みなく生きるためには、自分だけでなく、他者のことも考える必要があるのです。自分が幸せであるためには、かならず「他の誰か」のことも考える。 

 

では、たとえば月曜日の朝に起きる憂鬱を消し、自分や誰かのために頑張っているという充実感を感じるには、どうすればいいのでしょうか?

 

たとえば何か嫌なことがあって怒ったとしましょう。そのとき「今怒っている」と気づくと、怒りがスーッと消えるのです。嫉妬しているとき「今嫉妬している」と気づくと、嫉妬が消えるのです。妄想しているとき「今妄想している」と気づくと、妄想が消えるのです。これが無常ということです。

 

仏教で「努力する」という言葉は、心の嫉妬、怒り、憎しみ、傲慢などをなくそうとするときに使います。これらの感情は努力しないとなくなりません。怒る人が怒らないようにするにはものすごい努力が必要です。努力は心の問題なのです。

 

憂鬱の正体は、ここで言われているような、嫉妬、怒り、憎しみ、傲慢といった感情が混ざったものだと思います。

 

それを消すためには、まず、「自分が今、憂鬱である。」ということを自覚することから始めましょう。

それから、その憂鬱とは、単なる妄想だと理解して、心から消すように努めてみましょう。

妄想を消すトレーニングには瞑想が有効なのですが、瞑想についてはまた別の機会に。

 

さて、今週もまた始まります。

あれこれとらわれず、風のように爽やかに過ごしたいものです。

頑張りましょう!