よしこばブログ

13年間の国税局勤務を経て転身した、フリーライター小林の日常

G・L・O・R・I・A

と、パティスミスのGloriaを聴きながら。
文化の成熟というべきか、
過去を探せばいくらでも最高のものがあるというのは、
恵まれた時代だと思う。心から。

今なら小説はほとんど1000円以内で変える。
CDアルバムなら3000円。
あらゆる名作が、簡単に手に入る。
しかし選択可能性の多さはかえって人を遠ざける面はあるにせよ。

不思議に思う。
100年前にはまだ、
ロックもジャズもテクノも、なかったのだ。

だとすれば、さらに一世紀もしたら、新たなジャンルができているかもしれない。
ファッションも、ハイアートも、サブカルも、
全然変わっているかもしれない。

「想像しうることは全て現実に起こりえる」
という言葉がある。
ならばせめて想像を豊かにしたいもんだ。

ウー・・サイコキラー
ケスクセ
ファファファファーファファファファファーファ

TalkingHeadsいいなあ。

多分放たれたエネルギー!って歌よりは、
妖気というか、鬱屈してじわりと出てくる雰囲気のほうが好きだなあ。

オオオオーーーアイアイアイアイアァイ!

歌詞カードないから何いってるかも分からん。

僕の日記は行き当たりばったり。
書きながら考えてるから。

しかし、恋人のことについて書こうと思うんだけど、
うまく書けなかったりする。
今までの片思いのほうがずいぶん自由に書けていたという事実は、
現実化された幸福を語る言葉よりも、
不満の中で幸福を願う言葉のほうが、
ずいぶんと豊かだからだろう。

僕は幸せだ。
誰よりもな誰かを、手に入れた。

言葉が必要によって生まれたものならば、
なるほど、幸福は語る必要がないから言葉少ななんだろう。
不幸せならば、表明して救いを求めなければならないから、
ずいぶん感情に訴える言葉を持つんだろう。

ならば今の僕に何が書けるだろうか。
というより、なぜ書かなければならないか、
ということを考えてみる。

誰かに伝えるためか、自分の記録のためにか・・
違う気がする。
伝えるだけならば
こんなに多くの言葉は要らない。
記録としては、無価値だ。
僕は昔のブログを読み返さない。
読み返すにはずいぶんと堆積してしまったし。
これからも圧倒的な分量で増えていくだろう。
単純に恥ずかしい文章が僕には多いということもある。




書く人は、理由なんていらないのだ。
言葉を尽くさなければならない人の不幸せについては思うところはあるが、
仕方がない。
僕もその中の一人だ。

「人間には2種類ある」
という表現はずいぶん多くのバリエーションで使われる。
結局何種類なんだよ!
というつっこみを入れつつ。
僕も一つ。

「人間には2種類あってなー
 書かなければいけない人と
 書かなくってもいい人ってねえ。」

「またむつかしいことを言うわね・・
 マニアックすぎるわー。」

「マニアック最高。一緒にマニアックな世界に行こうぜ♪」

「いややわー。。やめてー。。変態!(笑)」

戯れにいつもの恋人との会話を再現してみた。
だいたいこんな感じに会話する。
ああ、話題がそれた。

ともかく、書かない人は、書かなくてもいい人とも言えるだろう。
それはそれでいい。
数学を解いたり、スポーツをしたりして発散するといい。

問題は書いて発散しようとする僕みたいな人だ。
残ってしまう。
文字にしてしまうことで現実の認識を変えたりすることもある。
不幸だと書いてしまえば、それは現実がどうあれ不幸が現実に入り込む。
だったら幸せについて書けばいいのかというと、
それはストレスになったりする。

現実の幸せがうまく表現できずに、幸せな現実を損ねてしまうこともある。
だから僕は恋人について幸せなときも悩むときも、あまり書けない。

僕の日記から恋愛を抜かしたらそれこそ
骨抜きになってるかと思う。
仕方ない。

ここは自己満足だ。

それでも
わずかばかりの、読んでくださる方には、
本当にありがとう、と申し訳なさでいっぱいさ。