よしこばブログ

13年間の国税局勤務を経て転身した、フリーライター小林の日常

連想


まるで熱病のようだ、と思っている。
今年の8月について僕が思い返すとしたら、それは自分自身の誕生日でも、
初めての車を購入したことでもなく、ただ「暑い」ということに限る。
ブログのうえでも、会話の中にあっても僕は散々、
「夏が苦手だ」と言い続けているのだが、
もはや今年の夏は不快感を越えて、一種恍惚をすら感じさせる。

少年にとっての「熱病」とは。
学校を休むことができることや、家族から優しく接してもらえることから
実生活上の幸福への連想があることはもとより、
熱がこもり、放出される。
水分が蒸発し、補給され、また蒸発される。
という身体の変化そのものに一種の忘失感がともない、
病気でありながら、恍惚なのだ。
熱が出たときに何故だか「もっと上がれ」とどこかで思ってしまうのは、
僕だけだろうか。

大人になって僕は、熱を出すことがなくなった。
最後に熱が出たのは、おそらく大学1年生の頃だったと思うが、
ひたすら毎日幸せにボーっとしていられた。
口が悪く、他人に非難めいたことしか言えない僕の友達は、
毎日のように、バナナやうどんやゼリーなどを
持ってきてくれた。
彼がその後熱を出した時には、僕に何も告げず、
一人で部屋で苦しんで、痩せてからまた僕の部屋に遊びに来た。

僕は小さな頃から、誰かの部屋に行くことはなく、
いつだって誰かが部屋に遊びに来ることを待つ人間だった。

さして話すことなどないのだ。さしてすべき楽しいことなど転がっていないのだ。
だけど誰かがいつも僕の部屋にいた。
漫画を読む人、眠る人、フランス語の勉強をする人、
漫画を書く人、映画を見る人、お茶をする人。

たまには女の子もいたけれど、ほとんどが特定の男の人だった。
年上で、少し変わった人が多かった。
部屋で男たちが集まって、紅茶を飲んでいるというのは、
大学の頃は当たり前の光景だったけれど、
今考えると不思議で、ちょっと笑ってしまう。

でも時は流れ、僕は東京にいて、家族もいる。
あの頃のように友達がダラダラしに来ることはないのかもしれない。
それはちょっと寂しいけれど、次があるから。

次ってのは、子供のことだ。
子供が男の子だという可能性が高いことを先日知った。
いつか、友達が出来て、息子が部屋に友達を呼んだとき、
僕は何を思うだろう。

部屋で友達とダラダラするのか、あるいは誰かの部屋に遊びに行くのか、
外で遊ぶタイプの子になるのか、それはまったく分からないけれど。
もし、友達が部屋に遊びに来たときには、
紅茶を淹れるのだろうか?僕は。

なんてことを、妻が帰省している暇に考える。
菊地成孔「野生の思考」を聞きながら。
さて
洗濯物をたたまなければ。