よしこばブログ

13年間の国税局勤務を経て転身した、フリーライター小林の日常

ホテルで育つ子供たち

ホテル・ニューハンプシャー〈上〉
中野 圭二,ジョン アーヴィング
新潮社

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秋に限らずとも、一年中読書をするようになってしまっている。
10代の頃に毎日読んでいた漫画や、テレビゲームに代わり
20代の僕の生活上の重要な位置を、読書が占めることになった。

音楽にせよ、読書にせよ、入り口にさえ入ってしまえば
それから先は関連により導かれることになる。
導かれる先は、それこそ神のみぞ知る。で
好みのジャンルですらも、一時的な居場所でしかない。

ここ最近は、海外の翻訳作品に目が向いている。
22歳の頃に太宰治を手に取ってから、
美輪明宏寺山修司夢野久作嶽本野ばら、と来て
(この順番は僕にとってはしりとりのように整合性のある順列だ)
川上弘美に耽溺することになる。
もちろん、他にも個別的に様々な作品を読んではいたが、
作家として偏ったのは、こういった面々だった。

そして川上弘美に耽溺してから、行き止まりとなった。
「ニシノユキヒコの恋と冒険」
センセイの鞄
「おめでとう」

しりとりのように、関連させて進んでいた僕の読書は中断される。
川上弘美と「関連」していると思われる作品は、
「関連」しているが故に、物足りなく感じてしまった。

好きなものができると僕はしばしばこうゆう状態に陥る。
テレビゲームで言えば、PSの「moon」SFの「MOTHER2
漫画で言えば、「うしおととら」や「ハチクロ」や「彼氏彼女の事情
強烈に気に入るものができて、代わるものが見つからない場合、
しばらくは気に入った作品をもう一度楽しむ。
頭の中で、次に求めるものを探しながら。

結局、テレビゲームと漫画に関して言えば、そんな状態を引きずったままだ。
いまでも時折、「moon」のリーマンのディスコに行きたくなるし、
MOTHER2」のどせいさんに会いたくもなる。
それは、開拓ではなく回顧であり、物悲しさをたたえてはいるのだが。

読書に関して言えば、突破口はあっさり見つかった。
日本の作品はいったんわきにおいておいて、海外の作品を読むようになった。

ジョン・アーヴィング「ガープの世界」「ホテルニューハンプシャー
イリアムゴールディング蝿の王
ミランクンデラ「存在の耐えられない軽さ」「不滅」「冗談」
カート・ヴォネガットタイタンの妖女」「猫のゆりかご」
サマセット・モーム「月と6ペンス」
ダン・ローズ「ティモレオン」「コンスエラ」
ミヒャエル・エンデ「果てしない物語」「モモ」

翻訳ものを読む人から見ると、いわゆるメジャーな名作なのだけれど、
メジャーということが「高価値」を表していることをこの作品は示している。
そのスケールの大きさに圧倒された。

翻訳ものに僕が持っていた偏見というものがある。
それは、「日本人の感情にあわない。」「薄っぺらい」ということだ。
だけどそんなことはまったくなかった。
これらの小説は、小説でしか表すことのできないことを、適正な長さで語る。
うすぼんやりとした雰囲気でごまかすのではなく、
たしかに実体をなしている。

先にあげた作品の中で、今一番気に入っている作品が
アーヴィングの「ホテルニューハンプシャー」なのだが、
主人公たちの人生が、生まれてから僕の年齢を越すところまで
語られている。
読んでいる間、確かに僕は彼らと一緒に人生を生きていたし、
友達でもあった。

読み終わることが寂しかった。
彼らと別れることがこわかった。

熊のぬいぐるみを着て生活するスージー、
決して大きくなることのできないリリー
ソロー(悲しみ)の引き金だと自分を責めるフランク
いくらでも出てくる人物のすべてを愛することは、
実は世界を愛することをさほど変わらない。

言葉があり、語られる物語がある以上、
世界は「最悪」まではいかないだろう。
僕は、多くの作家に打ちのめされて、もがきながら
それでも読み続けている。
それが果てしのない業だとしても。